日本酒はビールやワインと同じ醸造酒で、日本の伝統的な酒類である。日本酒は日本人の主食である米を原料にしているため、我々の生活に深く根ざし、独自の飲酒文化を形成してきた。最近は、海外でも日本食に興味を持つ人が増え、日本酒も海を超えて世界の多くの人々に飲まれるなってきた。
日本酒の造り方は、ワインやビールに比べるとより複雑であるが、今日ではそのメカニズムが科学的に解明されてきた。これらの科学的知見とともに、伝統的な杜氏の卓越した酒造技術によって高品質でバラエティーに富んだ日本酒が造られている。また、今後も多様性の拡大が期待される。
一般に、高級ワインが第一に原料ぶどう本来の味や畑の味を感じさせるに対し、日本酒は米と水という無味無臭に近い原料を、酵母や麹菌の力と杜氏の高度な職人技によって、穏やかな米本来の味に加え、酒の香り、果物のような香り、旨味、コク、絹のようになめらかで繊細な甘味、これらのハーモニーと行った香味を作り出すところに製造者の哲学の大きな違い、ワインの『畑』に対する日本酒の『技』がある。
言い換えると、日本酒造りはワイン造りよりも酵母への依存度が大きく、日本酒造りの酵母は健全にアルコールを生成するだけでなく、香りや酸といった多種多様なフレイヴァー造りを行ない、その働き者の酵母たちを杜氏が支配している。
私たちにとって日本酒は身近な存在であるが、その造り方や味わい方の面白さを知れば、さらに特別な味に感じられるであろう。
一般的には日本酒と呼ばれることが多いが、日本の酒税法では『清酒』と呼んでいる。そこで、この節に限って清酒を用いる。
なお、2015(平成27)年12月に、地理的表示『日本酒』が指定され、原料米として国内産米のみを使い、国内で製造された清酒のみが『日本酒』を名乗ることができると言うルールが定められた。
また、国によって清酒の定義が異なることに留意が必要である。
本書では、清酒の定義について、日本の酒税法の精確な転載ではなく、『定義の概要』として簡略化したもので解説する。
酒税法による清酒の定義はより詳細で厳格であるので、必要な場面があれば、国税庁Webサイトを参照していただきたい。また、日本ではアルコール分の濃度は体積%(vol/vol%)で表示し、酒税法では『度』を用いる。
酒税法における清酒の定義の概要は、
となる。『その他政令で定める物品』については後述する。
清酒醸造では、米(蒸米)、米麹、水を混ぜて醗酵させる状態のものを醪と呼ぶ。
上述の清酒の定義で、両者とも「漉したもの」とある通り、醪の醗酵が終わると醪をこして、清酒と酒粕(清酒かす)に分ける。この時点で、清酒が製成されたことになる。
なお、酒税法および酒類行政関係法令等解釈通達では、『『こす』とは、その方法のいかんを問わず、酒類の醪を液状部分とかす部分とに分離するすべての行為をいう。』と取り扱われている。また清酒作りの現場では、『こす』よりも『搾る』ということが多く、醪を搾る工程は上槽と呼ばれる。
昭和の時代には日本酒の級別制度があった。日本酒は品質とアルコール度数などから、特級、一級、二級の3つに分類され、それぞれ異なる酒税率が適用されていた。特級は品質が優良なもの、一級は品質が佳良なもの、二級は特級・一級に値しないものであった。その当時は、日本酒は一升びん入りのいわゆるレギュラー酒、現在の普通酒が主流であって。消費者の多くは日本酒を選ぶ際に、灘、伏見といった大手ブランドを中心とした知名度のあるメイカー、あるいは全国的に知られていない酒蔵であっても『特級』、『一級』と表示のある日本酒を贈答品を選ぶ際の参考にする風潮があった。しかし、消費者に対し品質の格付けとして機能してきた『級別制度』は1992(平成4年)3月(特級については1989(平成元年)3月)に廃止された。
その後、現在まで『清酒の製法品質表示基準』(国税庁告示)により、まずは高級酒に位置づけられる『特定名称酒』と『特定名称酒以外』に大きく分類される。
『清酒の製法品質表示基準』は1989(平成元)年11月に定められ、2003(平成15)年10月末に一部改正があり、現在に至る。
特定名称酒に使用する白米は、農産物検査方によって、3等以上に格付けされた玄米またはこれに相当する玄米を精米したものに限られている。
さらに、特定名称酒は、原料、製造方法の違いによって、8種類に分類され、それぞれ所定の要件に該当するものにその名称を表示することができる。
精米歩合とは、白米のその玄米に対する重量の割合をいう。精米歩合60%というときには、玄米の表層部を40%削り取ることをいう。
米の胚芽や表層部には、たんぱく質、脂肪、灰分、ビタミンなどが多く含まれ、これらの成分は、清酒の醸造に必要な成分ではあるが、多すぎると清酒の香りや味を悪くするため、米を清酒の原料として使うときには、精米によってこれらの成分を少なくした白米を使用する。ちなみに、一般家庭で食べている米は、精米歩合92%程度の白米(玄米の表層部を8%程度削り取る)であるが、清酒の原料とする米の多くは、特定名称酒に限らず精米歩合75%以下の白米が用いられている。
こうじ米とは、米こうじ(白米にこうじ菌を繁殖させたもので、白米のでんぷんを糖化させることができるもの)の製造に使用する白米をいう。、
なお、特定名称酒は、こうじ米の使用割合(白米の重量に対するこうじ米の重量の割合をいう)が、15%以上のものに限られている。
醸造アルコールはでんぷん質物や含糖質物を原料として醗酵させて蒸留したアルコールをいう。
醪にアルコールを適量添加すると、香りが高く、『すっきりした味』となる。さらに、アルコールの添加には、清酒の香味を劣化させる乳酸菌(火落ち菌)の増殖を防止する効果もある。
吟醸造りとは、吟味して醸造することをいい、伝統的に、より一層精米した白米を低温でゆっくり醗酵させ、かすの割合を高くして、特有の芳香(吟香)を有するように醸造することをいう。
吟醸酒は、吟醸造り専用の優良酵母、精米、原料米の処理、醗酵の管理からびん詰・出荷に至るまでの高度に完成された吟醸造り技術の開発普及により商品化が可能になったものである。
米、米麹、水および清酒かす以外の原料(『その他政令で定める物品』として使用される物品は、醸造アルコール(アルコール95度換算の重量)、糖類、有機酸(酸味料)、アミノ酸塩または清酒で、その重量比について、使用量の制限がある。
なお、特定名称酒のうち、純米酒、特別純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸酒については、醸造アルコール、糖類および酸味料などを使用できない。
また、特定名称酒のうち、本醸造酒、特別本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒については、醸造アルコールの使用制限がより厳しく、重量比で白米の重量の10%を超えてはならないことになっており、さらに糖類や酸味料などは使用できない。
特定名称酒以外の清酒、すなわち普通酒または一般酒と総称されるものについては、醸造アルコール、糖類、酸味料などの重量の合計が、米の重量の50%を超えてはならないこととなっている。
なお、普通酒にも、糖類、酸味料などを使用しないものも多くある。
清酒には、次の事項を、原則として8ポイントの活字以上の大きさの日本文字で表示することになっている。
使用した原材料を使用量の多い順に記載する。
なお、特定名称酒については、原材料名の表示に近接する場所に精米歩合を併せて表示する、
たとえば、本醸造であれば次のように記載する。
原材料名 米、米麹、醸造アルコール 精米歩合 68%
次のいずれかの方法で記載する。
製造年月 平成29年10月 製造年月 29.10 製造年月 2017.10 製造年月 17.10
なお、保税地域から引き取る清酒で製造時期が不明なものについては、製造時期に代えて輸入年月を『輸入年月』の文字の後ろに表示してもよいことになっている。
また、容器の容量が300ml以下の場合には、『年月』の文字を省略してもよいことになっている。
生酒のように製成後一切熱処理しないで出荷する清酒には、保存もしくは飲用上の注意事項を記載する、
(参考)
生酒、生貯蔵酒以外の清酒は、通常、製成後、貯蔵する前と出荷する前の2回加熱殺菌処理(火入れ)をしている。
輸入品の場合に記載する。
国内において、国内産清酒と外国産清酒の両方を使用して製造した清酒については、その外国産清酒の原産国名および使用割合を記載する。
なお、使用割合については、10%の幅をもって記載してもよいことになっている。
以上のほか、次の事項もかならず表示するよう清酒製造業者に表示義務が課されている。
(注)清酒でアルコール分が10度未満で発泡性を有するものは、『発泡性を有する旨』および『税率適用区分』も表示する必要がある。
次に掲げる事項は、それそれの要件に該当する場合に表示することができる。
表示しようとする原料米の使用割合が50%を超えている場合に、使用割合と併せて、たとえば、山田錦100%と表示できる。
その清酒の全部がその産地で醸造(水を加えてアルコール分を調整する行為(以下『加水調整』という)を含む)されたものである場合に表示できる。したがって、産地が異なるものをブレンドした清酒には産地名は表示できない。
1年以上貯蔵した清酒に、1年未満の端数を切り捨てた年数を表示できる。
製成後、加水調整しない清酒に表示できる。
なお、仕込みごとに若干異なるアルコール分を調整するため、アルコール分1%未満の範囲内で加水調整することは、差し支えないことになっている。
製成後、一切加熱処理をしない清酒に表示できる。
製成後、加熱処理しないで貯蔵し、出荷の際に加熱処理した清酒に表示できる。
1つの醸造場だけで醸造した純米酒に表示できる。
木製の樽で貯蔵し、木香のついた清酒に表示できる。
なお、販売する時点で、木製の容器に収容されているかは問わない。
自社に同一の種別または銘柄の清酒が複数ある場合に、品質が優れているものに表示できる(使用原材料等から客観的に説明できる場合に限る)。
なお、これらの用語は、自社の清酒のランク付けとして使用できるもので、他社の清酒と比較することはできない。
国、地方公共団体などの公的機関から受賞した場合に、その清酒に表示できる。
上記以外の事項については、事実に基づき別途説明表示する限り表示しても差し支えないことになっている。
次に掲げる事項は、これを清酒の容器または包装に表示してはならない。
ただし、特定名称に類似する用語の表示に隣接する場所に、原則として8ポイントの活字以上の大きさで、特定名称酒に該当しないことが明確にわかる説明表示がされている場合には、表示することとして差し支えない。
なお、この説明表示は、消費者の商品選択に資するために設けられたものであるため、8ポイントの活字以上の大きさで表示してあればそれでよいということはなく、特定名称に類似する用語の表示とバランスのとれた大きさの文字とするなど、消費者の方が特定名称酒に該当しないと明確にわかる大きさの文字とする必要がある。
たとえば、純米酒の製法品質の要件に該当しない清酒に、純米酒に類似する用語(例:『米だけの酒』)を表示する場合には、純米酒に該当しないことが明確にわかる説明表示をしなければならない(例:『純米酒ではありません。』)
日本酒がいつの時代から作られいたのかは明らかではないが、水稲が渡来した弥生時代には、米の酒が作られていたと推測される。『魏志』の東夷伝に『倭国の酒』の記事が、『播磨国風土記』に『清酒』の記事がある。
奈良時代後半には稲作も安定し、国家の組織に造酒司が設けられて、朝廷のための酒が作られるようになった。
平安時代になると、寺院や神社、民間でも酒造りが行われるようになった。
室町時代には、本格的な酒屋が現れるようになった。
16世紀後半には原料米を精米したり、醪をこして酒粕と日本酒に分ける技術や、日本酒に火入れと呼ばれる熱殺菌も行われるようになった。また、この頃木桶による製造と貯蔵が行われるようになり、一度に多くの日本酒を造ることができるようになった、当時、微生物を顕微鏡で見ることはできなかったが、火入れはパスツールが殺菌の概念を発見するよりも300年も早い室町時代から行われていた。
江戸時代になると、産業として日本酒造りがますます盛んになった。香味を整え、酸敗を防ぐ方法としてアルコール添加(当時は醸造アルコールの代わりに柱焼酎と呼ばれる焼酎を添加していた)の技術が使われるようになったのはこの頃からといわれている。
明治時代からは大正時代の頃までは、酒造業界の醸造技術、特に精米技術は水車や横型精米機(玄米同士の摩擦を利用して皮を除去する飯米用精米機)に頼っており、また微生物の知識も不十分な時代であった。温度計が普及したのは大正時代になってからである。当時は今でいう吟醸酒の製法は生まれておらず、灘の酒造技術が圧倒的で、酒質を主導していた。
また、当時は、酒質が安定しておらず、製造面でも腐造(醪が腐ること。酸敗と同じ)が珍しくなかった。
また、辛口で酸の多い酒が主流であった。これは醪での軽度な乳酸菌の増殖の可能性も考えられるが、当時は精米歩合がせいぜい90%ぐらいであったために、酵母の増殖が旺盛になり、その結果、醪の酸が増えた。加えて白米が硬く蒸米の溶解が悪いので、醪の糖が少なく結果辛口になったと考えられる。
しかし、大正時代末期から米の統制が始まる1940(昭和15)年頃までは、飲酒人口増大の影響もあり、相当に甘い、濃い味の日本酒が作られ、飲用されていた。
1933年(昭和8年)に竪型精米機が現われるや、酒造家の導入は早く、3〜4年の間に全国清酒品評会の出品工場のほとんどが使っている。この頃、冷凍機の登場および導入によって、醪温度も次第に低くなった。
第二次世界大戦後、戦時中の農業の荒廃に加え、日本国内の人口増加により、深刻な米不足の自体となった、また、酒類も不足し、密造酒、いわゆる闇酒が横行し社会問題となった。、このような時代背景のもと、三倍醸造法(三増酒、または増醸酒)が普及した。(その後、増醸酒は2006(平成18)年の酒税法改正により清酒の定義が改正されたことに伴い廃止された)。
その後、経済の復興に伴い、日本酒の需要も急速に回復した。課税移出数量の推移(図表1)で見ると、1945(昭和20年)の173千klの最低記録から、1973年(昭和48年)には最高の1,766千klを達するに至った。この間、工場の大型化や製造機械の開発が盛んに行われた。日本酒の大量生産が可能となった。
東海道新幹線開通、東京オリンピック開催を経て、1960年代後半から1970年代当初(昭和40年代)には史上空前の日本酒ブームが訪れた。時代背景として行動経済成長が挙げられよう。
日本酒の課税移出数量は1973(昭和48)年のピークを境に減少に転じた。
なお、酒蔵の数は、戦後一時期は4,000場を超えたものの、1970年初頭(昭和40年代)の日本酒ブームの前から現在まで減少が続いている。日本酒製造免許者数で1980(昭和55)年度には2947者であったものが2014(平成26)年度には1,634者となっている(図表2)。s
1970年代中頃(昭和50)年代に突入すると、それまで、日本酒を買うならば、地元の酒蔵の日本酒か級別審査を経た大手メイカーの特級酒、一級酒と思われていた風潮に変化が現れた。消費者の中には、自分の嗜好に合った日本酒を選択する者が散見されるようになった。彼らは日本全国に数え切れないほどある酒蔵の存在に目を向け始めた。あまり流通していない地方の地酒に対して関心が高まった。
「出張に行ったら、あの町の地酒を土産に買ってこよう」、「旅行に行って、郷土料理と一緒に地酒をいただこう」、というような地酒ブームと呼ばれる静かなブームが起こった。人々は灘、伏見の大手をナショナル・ブランドと呼ぶのに対して、それ以外の全国に点在する酒蔵の酒を地酒と呼ぶようになった。特に1982(昭和57)年の上越新幹線の開通を機会に、新潟県の地酒は概して淡麗辛口で綺麗で高品質という特徴が話題となり、720mlびんなどは値段も大きさも手頃な土産として、人気を博すようになった。中にはプレミアのつく地酒も現れた。
1982(昭和57)年には吟醸酒ブームがあった。生酒も人気になった。時代はバブルへと突入するが、バブル期に日本酒業界は目立った恩恵はなかった。
1992(平成4)年3月の級別制度廃止後、全国の酒蔵は自社の商品の在り方について模索を始めた。級別制度の格付けに頼れなくなったために、自社商品のランク付けを自己責任で行わなくてはいけなくなった。県の酒造組合で新しい品質認定制度を立ち上げたところも多くあった。普通酒の全国平均値の甘辛は辛口調にシフトし、酸度とアミノ酸度は低下を続けた。
このような中、突然、1996(平成8)年あたりから日本酒の製造数量は大きな減少を始めた(図表3)。『冬の時代』への突入である。数年後、空前の焼酎ブームが起こり、日本酒は焼酎にシェアを奪われることとなった。経営者自ら製造に参加するようになった酒蔵や季節労働者に頼らない酒蔵も珍しくなくなった。オリジナル製品を模索する酒蔵が散見された。2004(平成16)年には日本酒と単式蒸留焼酎の製造数量が逆転した。日本酒の製造数量の減少は2010年(平成22)年度まで続いた。その後は、およそ横ばいではあるが、内訳を見ると普通酒の割合が減ってきている。
なお、純米酒、純米吟醸酒の製造数量はほぼ横ばいで、相対的に日本酒の製造に占める純米酒、純米吟醸酒の割合が大きくなった(図表4)。
一方、冬の時代の中、日本酒の海外輸出数量は静かではあるが、ゆっくり着実に伸びていた(図表5)。2001(平成13)年と2011年(平成23)年を輸出数量klで比較すると、この10年で約2倍の伸びとなっている。さらに2011(平成23)年度と2015(平成27)年度を比較すると、この4年で約1.3倍の伸びであり、6年連続で過去最高となった。
数年前より全国各地の地酒が次々と話題になり、スパークリング日本酒の人気が高まるとともに、海外での日本食(和食)ブーム、日本酒輸出数量の増加や新設された国内外の日本酒のコンテストが注目されるなど、国内外からの日本酒に対する関心の高まりを背景に日本酒市場は盛り上がりを見せている。これらを総じて、『日本酒ブーム』、『日本酒ブームの再来』と呼ばれるようになった。ブームとは言っても、日本酒の製造数量が大きく増加したわけではないが、消費者の多くが日本酒に関心をもち、雑誌などのメディアに多く取り上げられるようになったのは事実である。一時は扱う日本酒商品アイテムが少なくなった酒販店や料飲店でふたたび多様な日本酒を見かける機会が増えた。
このような追い風の中、海外の多くの日本酒レストランなどで、関係者の不断の努力もあって、2013(平成25)年12月に『和食: 日本人の伝統的な食文化』はユネスコ無形文化遺産に登録された。日本酒の海外輸出の伸びは、この影響も大きいと考えられる。
吟醸酒という言葉が生まれたのは、早くても明治維新以降であると考えられる。全国清酒品評会は1907(明治40)年から始められたが、当初は今でいう吟醸酒を中心としたものではなく、『醇良酒』といって、経済性も考慮した旨みのある濃い味のものであった。当時は精米技術が充分とはいえず、また普及していなかったことも一因である。
吟醸酒という言葉が文献に出て来るのは、1927(昭和2)年の日本醸造協会誌の鹿又親氏の論説『吟醸の経済化について』で、その中で『吟醸とはあらためていうまでもなく『吟味して醸造する』ということで、とりもなおさず、原料を精選し、最善の努力と技巧の極みによって醸造せられた清酒が吟醸酒である』としている。
当時、品評会は加熱し、精米競争もあった。1933(昭和8)年には竪型精米機が現れ、精米技術に革命が起こった。吟醸酒造りに対する酒蔵の不断の努力に加え、醪冷却技術の普及、のちの優良酵母の分離と普及などにより、吟醸酒の品質は向上し、1982(昭和57)年には吟醸酒ブームを迎え、吟醸酒という言葉が広く世間に知れ渡ることとなった。
1990年初頭以前は、酒蔵は鑑評会で金賞を獲るためための要件を略して『YK35』と呼んだ。絹のようななめらかな米の味で精米や麹造りもしやすい山田錦に頭文字を取って『Y』。酵母はきょうかい9号酵母の頭文字で『K』。精米歩合は35〜40%が大多数なので『35』。吟醸酒造りに使われた優良酵母は、きょうかい9号酵母の他には、熊本酵母、金沢酵母(現きょうかい14号酵母)、静岡酵母、各県の研究機関が開発したいわゆる県酵母などがあった。
酒造りで最も難しいのは麹造りとされる。普通酒に使用する麹は、一粒一粒の表面全体が麹菌に覆われており、総ハゼと呼ばれる(画像1)。
これに対し、きょうかい9号酵母など伝統的な酵母に向いた麹は、肉眼では、いわば豆大福のように、麹の粒の表面の一部に豆様に麹菌の塊が見え、突きハゼと呼ばれる(画像1)。
これは、伝統的な酵母の場合、麹菌の体の部分が多いと、吟醸香を造りにくくなる性質があるためである。さらに、麹にはブドウ糖を作る酵素グルコアミラーゼが適量でなければならない。伝統的の酵母に向いた吟醸麹を作ることは容易ではなく、今でも、かなりの熟練した技能を要する。
1990年代中期になると、『香り酵母』(セルレニン耐性酵母)と呼ばれる酵母が全国に急速に広まった。日本酒業界に最初に普及した最も代表的な香り酵母は、長野県食品工業試験場(当時)が県内の酒蔵のために開発した『アルプス酵母』であろう。香り酵母の登場は日本酒業界にとってセンセーショナルな出来事であった。吟醸香の成分の1つで熟れたりんご様の香のするカプロン酸エチルの生産量が当時の伝統的な酵母の場合、金賞受賞酒であってもせいぜい2〜3ppmであったものが、香り酵母は10ppmを超えるものがあったためである。しかも、驚くことに、麹のでき栄えが吟醸香の高低に与える影響が少なく、いわば、『熟練者でなくてもカプロン酸エチルの香り高い吟醸酒を造れる酵母』であった。全国各地で香り酵母が開発された。最近10年間の代表例は、きょうかい1801号酵母、明利M310酵母、県の開発した香り酵母などである。
鑑評会では香り酵母の単独使用、あるいは香り酵母と伝統的な酵母の混合培養が主流になるにつれて、YK35の時代のような伝統的な酵母を単独で用いた出品酒は出品割合が低くなった。最近10年ほどは、鑑評会出品酒の酵母の変化は小さいが、代わりにグルコアミラーゼをたくさん作る新しい麹菌がいくつも開発された。原料米については安価で山田錦に引けをとらない味の酒造好適米がいくつか開発されたが、出品状況を見ると、山田錦の出品が多い。
市販吟醸酒については、課税移出数量で見れば、最近10年ほどは、醸造アルコールを添加した吟醸酒よりも純米吟醸酒の方が消費者に人気があるといえるが、アルコール添加の吟醸酒は最近は課税移出数量が増加している。鑑評会という場ではカプロン酸エチル高生産酵母の使用が多いが、市販吟醸酒には、酢酸イソアミル(バナナの香り)中心の吟醸酒、微炭酸でフレッシュ感が際立った吟醸酒、自社酵母の個性的な香りをアピールした吟醸酒、契約栽培の原料米と従来の酵母を使用した味重視の滑らかで繊細な純米吟醸酒、伝統的な酒母の生酛・山廃酛で作った酸度やアミノ酸度が高めの吟醸酒、香り酵母と山廃酛を組み合わせたもの、多酸酵母の吟醸酒、さらには熟成タイプといろいろな吟醸酒が溢れている。
また、各地方の酒蔵がメディアによく取り上げられるようになり、全国の地酒、吟醸酒の地域性も関心を集めている。吟醸酒は、もともと、酒蔵の技術研鑽と研究・記録を目的とする鑑評会の出品酒として始まったものであるが、今では、吟醸酒は鑑評会入賞を目標とした技術力の集大成だけではなく、消費者がその多様性を楽しめるものとなった。
吟醸酒以外の特定名称酒についても、たとえば純米酒表示の生貯蔵酒製品の中には豊かな吟醸香がするものがあったり、本醸造酒の中には火入れ後熱交換急冷して0℃でタンク貯蔵するためにフレッシュで吟醸香がし、コストパフォーマンスに優れるものもあり、香り酵母の寄与が大きいことがうかがえる。酒蔵の貯蔵出荷管理および市場の流通ダメージ低減のためには一般に活性炭が重要であるが、活性炭はカプロン酸エチルを吸着しやすいので、活性炭使用の観点からは従来の酵母よりも、香り酵母の方が同じ活性炭量を使用しても酒にカプロン酸エチルの香りが残りやすい。澱を分離し活性炭の効きをよくする(減らせる)SFフィルターも普及してきた
籾は稲の種子にあたり、籾殻を取り去ったものを『玄米』、精米したものを『白米』や『精白米』という。
稲はアジアイネとアフリカイネに大別され、私たちに身近なアジアイネはさらに、主としてジャポニカ種(日本型、短粒種、short-grain variery)とインディカ種(インド型、長粒種、long-grain variery)に分けられる。そして、2つのバラエティは米のでんぷん成分の違い(P23)により、うるち米(粳米 non-glutinous rice)、もち米(糯米、glutinous rice)にそれぞれ分類される。また、いずれにも水稲(水田で栽培する稲)と陸稲(畑地で栽培する稲)があり、日本酒には主にジャポニカ種の水稲うるち米を原料とする。
ワインとぶどうの関係同様、原料米が日本酒の製造工程な品質に及ぼす影響は大きく、業界では日本酒造りに適した米を『酒造好適米』、『好適米』、あるいは『酒米』、『酒造米』などと呼ぶ。日本の一般的な主食用の米(一般米、飯米)もジャポニカ種の水稲うるち米であり、日本酒の原料としても多く用いられているが、その性質には違いがあり、農林水産省の『農産物規格規程』では酒造好適米は『醸造用玄米』として、食用の『うるち玄米』や『もち玄米』とは区別している。
なお、東アジアを中心に米を原料とする酒は少なからずあって、その多くにもち米が用いられている。日本酒にももち米を使用した歴史はあるが、醸造工程上の適性やその酒質から脱落したと考えられている。ただし『もち米四段』(P86)として、もち米を使用する酒蔵もある。`
酒類に関する研究機関、独立行政法人酒類総合研究所の前進である国立醸造試験所が開設された1904(明治37)年当時、すでに日本酒醸造用の米の銘柄や産地に対する評価はあったという。また、醸造試験所は1916年(大正5)年から10年の間に、3回に渡って全国から酒造原料米を集め、理化学的な分析調査を実施。日本酒の醸造に適した米の要件をまとめ、『酒造好適米』という概念が確立したと言われる。この時にあげられた要件は現在もその重要性に変わりはない。とはいえ、当時は今日のように高度な精米(高精米)をして原料米を用いることはなかったので、精米特性は取り上げられていなかった。現在の酒造好適米に求められる主な特性は以下の通り。
米の胚芽や表層部に含まれるたんぱく質や脂肪、配分などは、多すぎると麹菌や酵母の生育を急進させ、酒質のバランスを崩し、雑味や着色の原因となりやすい。そのため、酒造米は食用の飯米よりも通常永に高精米される。精米の度合いは通常『精米歩合』で表される。
たとえば、酒税法で本醸造酒の精米歩合は70%以下と定められていて、これは糠や胚芽など玄米の表層部分を重量で30%以上削り取る(『磨く』とも表現する)ことを意味する。ちなみに食用の飯米の精米歩合は通常、92%程度である。
精米時に米が砕けると、外層部の成分が残存したり、粒の大きさや形が不均一になるため、その後の酒造工程にマイナスに影響しやすい。
特に高精米を行なう場合には大粒米が有利。米粒の大きさは精粒1000個の合計重量『千粒重』で表され、およそ20〜30gの間にある。一般的な飯米の千粒重が20〜22gなのに対し、雄町や山田錦、玉栄など多くの酒造米は大粒と言われる26g以上。とはいえ、しばしば千粒重が26g未満の八反などからも良酒が醸されている。
『心白』は米粒の中心部に見られる白色不透明な部分のこと。極めて小さいでんぷん粒(でんぷんの結晶体)が無秩序に集積し、相互の接合も緩いため、隙間が大きく、光が乱反射するため白濁して見える。この心白があるコメを『心白米』と呼ぶ。
心白米は、一般に吸水性や醪での溶解性がよい。また、柔らかく隙間のある心白部に麹菌の菌糸が入り込み、強い酵素力をもつ麹を作りやすいため、酒造米として好まれる。また大粒心白米は吸水も速く、蒸すとつぶの外側が硬く内側は柔らかい、いわゆる理想的な蒸米『外硬内軟でさばけのよい蒸米』になりやすい。
心白の発現程度を数値で表す指標に『心白発現率(%)』(心白出現粒数÷全粒数×100)があり、高い心白発現率は酒造好適米の条件のひとつ。心白は大粒米に発現しやすいものの、生成原因は不明。主に品種固有の性質と考えられている。よって、その発現率も主に遺伝的な要因に支配されてるが、気象条件や栽培条件にも影響を受ける。中でも稲の登熟期の気温日較差と密接な関係があり、日較差が大きくなるほど発現率は高まると言われている。
ただし、心白の形状には、線状や球状、あるいは点状、眼状などといわれるものがあり、山田錦や強力などの線状心白米はより高精米に向く。一方、眼状心白米や球状心白米は精米で割れやすいため注意が要るが、吸水性や糖化性はより高いといわれる。岡山県穀物改良協会の資料によれば、雄町の心白は球状で柔らかいのが特徴。
心白が大きすぎたり、腹側(胚芽のある側)に偏っている『腹白米』は精米時に砕けやすく、無効精米歩合(P28)が高くなる。
米のたんぱく質はでんぷん、水分に次ぐ多量成分で、玄米中7〜8%程度含まれている。原料米のたんぱく質含有率が高いと吸水性は低下し、蒸米の消化性も悪くなる。また(1)で述べたように、たんぱく質が多すぎると製成酒のアミノ酸度が増して、雑味につながりやすいほか、色や香味が劣化しやすくなる。たんぱく質が少ないということは、大正時代にはすでに、よい酒造米の要件のひとつに挙げられてたという。なお、精米によるたんぱく質の減少度は、脂肪や灰分比べると穏やかで、精米歩合70%の米でも4〜6%含まれる(図表6と図表7)
今日、精米歩合20%台の日本酒が登場するなど、原料米を高度に精米して使うことが多くなったが、その理由の1つに、このたんぱく質を大きく低減させる目的があると考えられる。一方、精米歩合80%〜90%の米を用いた味わい豊かな日本酒も生まれており、酒質の幅を広げている。
軟質米は硬質米に比べ、精米にかかる時間が短いことに加え、一般に洗米時の吸水性が高く、酒母や醪中での消化性もよい。
酒造米として栽培が推奨されている品種は各都道府県によって決められ、『産地品種銘柄』として毎年、農林水産大臣が公示している。『平成28(2016)年産 醸造用玄米の産地品種銘柄一覧』(農林水産省HPより)では、計104の品種が東京都と沖縄県を除く45の道府県で認定されている(P26図表8)
原料用玄米(酒造好適米)はまた、『農産物規格規程』により、その品位が6段階の等級に分類されている。
同じ品種でもあっても整粒歩合(形状が整った米粒の割合)により特上(90%以上)、特等(80%以上)、一等(70%以上)、二等(60%以上)、三等(45%以上)、規格外(45%未満)に分けられ、米質の充実度なども審査される。この等級分けは一般米(飯米)の等級分け(一等、二等、三等、規格外)よりも規定が細かい。なお、特定名称酒の醸造に使用できるのは、三等以上の米に限られている(P27図表9)。
農林水産省『平成26年産米の農産物検査結果(確定値)』によれば、醸造用玄米の等級比率はおおよそ特上1.7%、特等21.2%、一等57.1%、二等12.0%、三等5.8%、規格外2.2%だった。検査数量でいえば、総数90,185tのうち、特上は1,498t。うち1464tを兵庫県が占め、三重、滋賀の順。特等(19,143t)では兵庫(15,136t)、広島(1,358t)、徳島(507t)、岐阜(327t)、山形(293t)などが続いた。
精米の動力は、江戸時代末期の灘で水車による精米が開発されるまで、長く人力に頼っていた。『足踏み精米』といわれるもので、地中に埋めた臼に玄米を入れ、足踏みで上下するように設置した杵で米を搗くもの。碓屋と呼ばれる専業者が板が、重労働で処理量が限られ、精米歩合も90%程度だったと推測されている。それが水車精米になると『15kgの玄米を夜通しで約2日間かけて、一割八分(精米歩合82%)まで搗いた』との1788(天明8)年の記録が残るという。足踏み式に比べれば格段の進歩だった。
その後、大正末期に導入された横型精米機などを経て、高度な精米を可能にしたのは1933(昭和8)年に登場し、早いうちに普及した竪型精米機だ。圧力をかけ米同士をすり合わせて磨く従来のやり方とは異なり、金剛ロール(金剛砂と呼ばれる研磨剤を固めたロール状の砥石)を回転させ、米の外層から削り取る仕組みとなった。近年では金剛ロールの形状や砥石の目の粗さに工夫を加えたり、省エネのほか低温精米(米への摩擦熱の発生が少ない精米)、砕米や浸漬割れを減らす低圧力での磨きなどを追求した竪型精米機(画像2)が開発されている。
竪型精米機での作業は主に、金剛ロールの回転速度と抵抗(精米室に流入する米の量と、精米室から排出する出口の分銅により米にかかる圧力を調整)の組み合わせによって行われる。たとえば、作業の初期は金剛ロールの回転を速く抵抗を軽くして胚芽を取り除く。米粒は中心に近づくほど柔らかくもろくなるので、作業が進むと低速回転させて、あまり急がずに削りをかけていく。その回転数の微調整や抵抗のかけ方などが精米の精度を左右する。米の品種や産地の違い、年ごとの作柄に合わせる必要があり、自家精米にこだわる酒蔵もある。
精米にかかる時間は精米歩合を低くするほど、大幅に増していく。精米機の能力の違いはもちろん、米の状態によっても変わるが、一般に玄米600kg(=10俵。1俵=60kg)を精米歩合70%まで削るには10時間、50%にするには50時間近くかかるといわれる。
そして精米歩合には『見掛精米歩合』と『真精米歩合』のほかにも知っておきたい支店がある。それは、どういう形に米を磨くか、である
一般的な精米を指す。精米作業では通常、金剛ロールの回転速度を上げて、精米時間の短縮を目指す。その際、米の割れや砕けを少なくするために精米機内の米の密度は低めに設定される。すると、米粒は短軸を中心に乱回転する傾向がある。結果、細長い米粒の厚みや幅よりも長さの研削が優先され、米は丸く削られていく。
酒造りの妨げになりやすいたんぱく質は、米粒つのいずれの部位でも表層から中心に向かってほぼ等濃度に分布しているため、厚みの部分には不要成分が残り、長さの部分からは有用な成分まで削られる可能性が指摘されている。
米粒の回転軸や削り方を工夫し、X%精米の場合、長さ、幅、厚みがすべてX%になるように磨くもの。しかし、ジャポニカ種の水稲うるち玄米の長さ、幅、厚みの比は通常5:3:2程度。原型精米を行なったとしても、削り取られる表面の暑さは同じ比率になるため、厚みの部分の検索は長さの部分の5分の2、つまり40%ということになり、研削される糠層の厚さが玄米の部位により少なからず異なり、たんぱく質の除去という点からは不満を残すといわれる。
どの部位も米の表面から等しい厚さに削り取る精米で、結果、米は扁平になる。等厚精米とも呼ばれる。球形精米や原型精米よりも金剛ロールの回転速度を落とし、輩出校の圧力を上げ、精米機の精米室内に置ける白米の乱回転をできるだけ抑えて、不要成分を効果的に除去する。
さらに、米の表面から等厚に、かつとくに厚さの削りを優先させ、トータルで不要成分を極小化することを目的に、扁平度合を高めた『超扁平精米』と呼ぶ技術を独自に開発した蔵もある。他社の従来型の精米歩合35%のサンプルとの比較で、サンプルの粗たんぱく質残存率が51.6%だったのに大志、超扁平精米では精米歩合51%で44.3%(ともに山田錦による実験の数値)と大きく下回ったというデータを公表している。
しかし、一般的な扁平精米であっても、60%の精米に75時間かかるというデータもあり、これは丁寧に原型精米する場合の3倍以上ともいわれている。扁平精米は精米歩合を高めに抑えられる反面、精米スケジュールや電気代などの費用について調整が必要となる。また、砕米の発生率が高いこと、70%精米でも胚芽の残存率が高いことなどの課題も報告されている。
精米後の米は最低でも2週間ほど袋に入れて保管される(『枯らし』という)。精米直後の米は摩擦で熱をもって水分が失われており(特に扁平精米は、精米に時間がかかるため、通常の精米よりも白米の水分の減少が大きい)、その状態のまま洗米、浸漬すると急速に水分を吸い、べたついた蒸米になりやすい。そのため一定期間、米んび吸湿をさせて、水分含有量を整えていく。この期間も重要な工程のひとつである。
一方、紙袋での枯らしは、袋内、袋間に水分ムラを生じる、という問題がある。また、枯らしの間に水分を吸収して胴割れを起こすこともあるため、よりよい保管袋の材質や保管方法の研究・開発が行われてきている
なお、玄米から削り落とされた部分は、様々な形で再利用されている。一般に、一番外側の糠(赤糠)とその内側の糠(中糠)は肥料や飼料に、または糠漬けの原料にもなる。さらに内側の白や特白と呼ばれる糠は米粉として、せんべいや団子をはじめとする米菓、米麺、パンづくりなどに用いられている。
45の道府県で計104の品種が醸造用玄米の『産地品種銘柄』(2016年産)に指定されていることは先述したが(P24)、生産量の多い道府県については『平成26年度産米の農産物検査結果(確定値)』の農産物検査数量≒生産量として、10位までを列挙する。
カッコ内は検査数量の道府県別の総計。全検査数量は9,0185t
兵庫県(26,199t)、新潟県(13,167t)、長野県(7,144t)、富山県(4,703t)、岡山県(4,562t)、秋田県(4,029t)、山形県(3,569t)、福井県(3,564t)、広島県(2,633t)、北海道(1,896t)。
産地品種銘柄に指定されている品種の生産量については、現在、作付面積が農林水産省の統計対象から外れているため、主要産地の項と同じく『平成26年産米の農産物検査結果(確定値)』の農産物検査数量≒生産量として、上位20品種を示す
全検査数量(90,185t)のうち、約33%gが1位の『山田錦』が占め、2位の『五百万石』が約25%、3位の『美山錦』が約8.6%。上位3品種で約66.7%を占めている(図表11)。
一方、1986(昭和61)年にササニシキ100%の純米酒造りによる『みやぎ・純米酒の県』宣言を行なった宮城県をはじめ、造りが難しくなると言われる飯米を用いた日本酒造りで高評価を得ている県や蔵も少なからずある。原料処理や醸造の技術向上によるところが大きいといえるだろう。
また、酒造好適米は飯米に比べて高価で、品種によっては入手しにくいものもある。そこで酒造りにおいてより重要な『麹米』や『酒母米(酛米)』にだけ酒造好適米を用い、醪の仕込みに使う『掛米』には飯米を用いるというケースは少なくない。
なお、飯米ではあるが、酒造りに定評のある品種にはササニシキのほか、アキツホ(主産地: 高知)、朝日やアケボノ(岡山)、オオセト(香川)、中生新千本(広島、山口)、日本晴(滋賀、山口、福井)、松山三井(愛媛)、ゆきひかり(北海道)、レイホウ(佐賀、長崎)などがある。
以下には代表的な酒造好適米の来歴や特徴を示す。
『山田錦』は2016(平成28)年、デビューから80年を迎えた、
1923(大正12)年、当時の兵庫県立農事試験場にて、『山田穂』と『短稈渡船』の交配により誕生。歳月をかけて選抜と品種の遺伝的な固定を行なったあと、1936(昭和11)年に命名、県の推奨品種に指定された。
『山田錦』の母、『山田穂』の由来については、多可郡中町(現在の兵庫県多可郡多可町)の豪農・山田勢三郎が明治の初め、自分の田んぼで見つけた立派な稲穂を改良したという説や、江戸期に美嚢郡吉川町(兵庫県三木市吉川町)の田中新三郎が伊勢詣での際、宇治山田(三重県伊勢市)で見るからにほれぼれとするような穂を見つけ、ひと穂を持ち帰って育てたという説。また、八部郡山田村藍那(神戸市北区山田町)の東田勘兵衛が雌垣村(大阪府茨木市)から評判が高かった米の種子を手に入れ地元で栽培。1890年(明治23)年にはその米を第3回国内勧業博覧会に出品。折り紙付きとなって急速に近郷の農村に広まり、東田の地元の地名から名付けられたという説などがあるが、その後の育種を行なった農業試験場の明石本場が第二次世界大戦で消失し、資料が失われてしまったため、決め手がないというのが現状という。
父方の『短稈渡船』のもとである『渡船』は、『雄町』からの選抜系統という説が根強く、その中で草丈がやや低く倒伏しにくいものとして選ばれたのが『短稈渡船』。つまり『山田錦』も『雄町』の系譜にあると言われる。『雄町』の由来は前述の通りだが、『短稈渡船』の名は、1895(明治28)年ごろ、福岡県で栽培されていた雄町を滋賀県が取り寄せ、あらためて名づけたと伝えられている。
その後、滋賀県では1916(大正5)年から昭和にかけて、『渡船』から純系淘汰により『滋賀渡船』の2号、4号、6号、26号などを育成し、現在は『滋賀渡船6号』を産地品種銘柄に指定している。『短稈渡船』は当時の滋賀県農業試験場で育成され、1918(大正7)年ごろに兵庫県に導入されたが、その名は滋賀県には残っておらず、『滋賀渡船2号』あるいは4号の可能性が高いといわれる。また、農業・食品産業技術総合研究機構(茨城県つくば市)のジーンバンクに残る『渡船2号』は『滋賀渡船2号』であり、兵庫県で『短稈渡船』と呼ばれた品種とほぼ同じものと考えられているようだ。
『山田錦』の生産量は現在、酒造好適米の中でトップ。良質の麹が作りやすく、高精米にも向き、奥行のある芳醇な味わいの酒を生み出しやすいため造り手に人気があり、栽培家や蔵元らの努力により、栽培地を拡大してきた。全国総生産量の約70%を兵庫産が占めるものの、2014(平成26)年産米の農産物検査結果によれば、西日本を中心に2府31県が栽培。南は沖縄と鹿児島を除く九州各県、北限は温暖化の影響もあってか東北地方まで延び、宮城と山形で栽培されている。あた、鹿児島県は2016(平成28)年産米から、『山田錦』を産地品種銘柄とした。
とはいえ、『山田錦』が誕生後すぐに酒造家たちに受け入れられた訳ではなく、その普及には『村米制度』をはじめとすると独特の歴史がある。
1985(昭和60)年に山形県立農業試験場庄内支場(当時)において、『美山錦』を母に、『青系酒97号(のちの華吹雪)』を父として交配・育成された。品種登録は1997(平成9)年。育成地(山形市)における成熟期は、『美山錦』よりも2日程度遅い中生の中。玄米千粒重は『美山錦』よりやや重く、心白発現率が高い。
山形県では、『出羽燦々』(100%)を精米歩合55%以下まで磨き、山形酵母と山形オリジナルの麹菌『オリーゼ山形』を用いて醸した純米吟醸酒に対して審査を行ない、『DEWA33』の称号と『純正山形酒審査会認定証』を与える独自の企画も展開している。山形県酒造組合のWebサイトによれば、その味わいは柔らかくて、幅がある。
『山田錦』の故郷・兵庫県では、その誕生以前の明治20(1887)年代には、全国で唯一、特定の酒造家と特定の集落(村よりも小さい単位、部落)との直接契約制度『村米制度』が生まれていたと伝わり、その一部は今も継続されている。取引にあたって、農家は酒造家が好む酒米を生産するために品質向上への努力を重ねた。集落内の切磋琢磨は、やがて別の集落との競争を生み、さまざまなな形で地域を拡大していく。そうして、土壌や地形をはじめとするテロワールから栽培適地が見極められ、取引価格に差を設けるための集落ごとの格付けも行われてきた。それらの歩みをたどっていきたい。
日本酒の成分の約20%はアルコール分、糖分、アミノ酸などであるが、残り約80%は水である。良質な日本酒を造るには、良質な水が不可欠である。日本酒造りに使用される水を酒造用水といい、醸造時に使用される醸造用水と、ビン詰めなどに使用されるビン詰め用水に分類される。醸造羊水には、直接日本酒の一部となる仕込み水(仕込み用水)や米を洗う洗米用水、米を漬ける浸漬用水、雑用水がある。ビン詰め用水にはできあがった酒のアルコール分を調整する割り水用水のほかに、ビンの洗浄に用いる洗ビン用水、器具や設備の洗浄やボイラーのための雑用用水などがある(図表15)。
酒造用水として備えるべき条件は、水道法で定められた水質基準値内であることに加えて、さらに図表16(P46)のような条件が一般に日本酒製造業界では求められている。全体的に水道水よりも厳格な基準値が採用されており、特に日本酒に悪影響を及ぼすとされている鉄・マンガンなどについてはかなり厳しい基準が要求されている。
酒造用水中に含まれるカリウム、マグネシウム、カルシウムなどは微生物の鋭意右舷となって麹菌や酵母の増殖を助長するので日本酒造りには有効成分とされている。一方、食の安全からは問題がなくても日本酒の醸造の観点から望ましくない成分がある。
最も望ましくない成分は鉄である。これは鉄イオンが、麹菌が分泌したドーナツ型のデフェリフェリクリシンという物質の穴の部分に結合してフェリクリシンという物質になり、日本酒の色を褐色化させるためである。酒造用水、特に仕込み水にわずかでも鉄が混入すれば、茶褐色の色がつき外観上のイメージが悪くなるだけでなく、熱性反応が進みやすいことから、香味を悪くすることが知られている。鉄の混入は、酒造用水の成分以外に、タンクに傷があっててつが露出している、鉄器に日本酒を入れるなどの理由でも発生する可能性がある。
このため図表16にあるように酒造用水の基準においては0.02ppm以下(検出されないのが望ましい)と水道水の基準である0.3ppmよりも相当厳格な値が設定されている。
鉄以外の望ましくない成分としてマンガン、重金属類があり、ほぼ同様の問題を発生させる。
また、醸造用水は無味、無臭、無色透明で有機物や有害微生物を含有してはいけない。
多くの酒蔵では、念を入れて、井戸水をろ過して使用している。井戸水をシャワー噴霧することで、水に溶けている鉄イオン(Fe2+)を空気で酸化させて水に溶けにくい状態(Fe3+)にしてから砂ろ過することにより鉄を取り除く。最近は家庭用浄水器と同じ原理の中空糸ろ過機も使用されている。
江戸時代の後期、魚崎(神戸市)と西宮(西宮市)の両方に酒蔵を持つ山邑太左衛門が常に西宮の酒蔵の品質が優れていたことに疑問を抱き、その原因を追究した。2つの酒蔵の杜氏や道具を交換して醸造しても変化は見られなかったが、1840(天保11年)に西宮の蔵の仕込水を魚崎の蔵に運んで醸造を進めたところ醗酵が盛んとなり、良質の日本酒ができた。西宮の酒蔵の日本酒が高品質である理由は仕込み水にあったのである。六甲山系に降った雨水が伏流水となり、地層に貝殻の多い海岸部の西宮神社近くの一帯で湧出する水こそが優れた酒となる秘訣だったのである。
以降、灘の酒造家はこぞって西宮の水を使うようになり、『西宮の水』が略されて『宮水』と呼ばれるようになった。また、水屋という商売まで現れ、四国、九州はもちろん、関東までも運ばれた。宮水は硬水で、その硬水で作られる灘の酒は比較的酸が効いていてキレがよく、辛口酒が多いことから『男酒』とも呼ばれている。
宮水が酒造りに適しているのは、軟水の多い日本にあって醸造の有用なカルシウム、リン、カリウム、クロール(塩素)などを豊富に含んでいる一方で、鉄分が極めて少ないからである。全国の酒造用水一般と宮水を比較してもリン、カリウム、カルシウムの含有量の多さは際立っている。この3つのミネラルは、酵母の醗酵を促進する重要成分である。ミネラルは米にも豊富に含まれているが米が溶解してミネラルが流出するのには時間を要するため、醸造工程の初期には仕込み用水に含まれたミネラルが重要となる。宮水地帯のミネラルは砂層の中に多く含まれる貝殻から供給されると考えられている。
伏見(京都市)は、かつて伏水とも書かれていたほど、良質で豊富な地下水に恵まれている土地である。それを象徴するのは、近鉄京都線の桃山御陵駅地位あくにある『御香宮』の御香水である。この神社の由緒は、862(平安時代・貞観4)年9月9日に、この神社の境内から『香』のよい水が湧き出たので清和天皇より『御香水』の名を賜ったことにある。伏見にはこの御香水以外にも6つの名水があり、『伏見の七つ井』とも呼ばれている。伏見の御香水は灘の宮水よりも柔らかい中香水で、伏見の酒は、なめらかで、きめが細かいことから『女酒』とも呼ばれている。
貯蔵中の日本酒(原酒)はアルコール分が高いことから、一般的にはビン詰前に加水することにより、日本酒らしさを失わずかつ飲みやすい15%程度までアルコール分を落とす。この工程を割り水という。
割り水用水は硬水よりも軟水の方が、さらには軟水よりも蒸留水やRO水(RO(Reverse Osmosis、逆浸透膜)で造られた水をいう)を用いた方が味がソフトになる。ウイスキーの水割り用の場合も香水では味が締まり渋さが現れるが、蒸留水ではソフトな味となると、同様の見解が報告されている。酒蔵の中には、蒸留水やRO水で割り水している蔵もある。
日本酒もビールなど他の醸造酒と同様、水に含まれるミネラルが多いと、酵母の増殖が活発になる結果、醗酵が促進される。酵母の数(酵母密度)が増えると酸の量が増すが、ワインの場合は酸の多い酒類であることから酸の微妙な変化はわかりづらい。
日本酒は元来酸の少ない酒類であり、酸のわずかな増加は酸味の増加というよりも、むしろ味の締まりとして感じられる(日本酒の酸度は、酵母の種類による違いが大きく影響するがここでは考えない)。日本酒の場合、冷却設備のなかった昔は、醪を強制的に冷却して醗酵を停止させることが難しかったため、硬水で仕込んだ醪は、豊富なミネラルにより醗酵が速くなり糖分を消費し、その結果辛口になりやすい傾向があった。
各都道府県の醸造試験場や工業技術センター、蔵元、大学などで酵母の育種も活発で、地元産の米、水、そして酵母を使った『地酒』造りを目指している蔵も少なくない。
著名なオリジナル開発酵母としてはまず、のちに『きょうかい9号』として頒布される熊本酵母、分離源の『香露』を醸す株式会社熊本県酒造研究所は、もともと熊本県内の酒造技術向上のために設立された『研究所』で、1909(明治42)年に酒造業者の出資によって設立された。その後、1918(大正7)年に株式会社化、のちに『酒の神様』と称されることになる野白金一を技術長として招聘し、熊本酵母の開発をはじめ、日本酒の酒質アップに大きく貢献した。現在も希望する蔵には直接、酵母の頒布(熊本酵母KA-1など)を行なっている。
そのほか、秋田県(秋田流花酵母AK-1など)、宮城県(宮城酵母MY-3120など)、山形県(山形酵母KA-1など)、長野県(長野アルプス酵母など)、静岡県(静岡酵母HD-1など)、高知県(高地酵母KW-77など)、広島県(広島21号酵母など)をはじめ、オリジナルの酵母開発に熱心な県は多い。
しかしながら、焼酎という蒸留酒は、日本酒と違って、原料だけでも自由度がとても大きいために比較的長い説明を要する。また、ウィスキー、ブランデー、ウオッカ、ラム、ジンなど他の蒸留酒と区別しなくてはならないため、酒税法のしょうちゅうの定義は詳細で厳格となっているように思われる。
酒税法のしょうちゅうの定義の概要について述べる。しょうちゅうは、連続式蒸留しょうちゅうと、単式蒸留しょうちゅうの2品目に分けられる。
連続式蒸留しょうちゅうとは、アルコール含有物を連続式蒸留機により蒸留した酒類(一定の砂糖などを加えたもので一定の要件を満たすものを含み、次の(1)から(4)にあげるものを除く)で、アルコール分36度未満のものをいう。
単式蒸留しょうちゅうとは、上述の(1)から(4)にあげるものを除く次に挙げる酒類で、アルコール分が45度未満のものをいう。